関心があるのはわかるが何をしているのかと思う。テレビとネットの前に座してささくれ立った言葉を発したり、右から左に情報を、錯綜しながら乱発するのはただの思い付きにしか見えない。
猪瀬副知事が小佐古教授の涙の会見を見て20ミリでダメなら何ミリならいいのか指し示さないのは無責任だと言っていた。文科省が突然1ミリを目指すと言い出したり、小佐古教授が今になって緊急時なら10ミリだと言い出すのは思い付きにしか思えないとも。
大震災は大変な不安ファクターとなった。女性の結婚願望まで明らかに増やしたのだからそうだろう。
ただ、ある種の人々にはファクターとしてはじめてその不安を与えたのではなく、あらかじめあった不安要素を爆発的に顕在化させた引き金となっていると思う。日本はもうすでに長年こういう状況下で、不安や不満を抱えて生きている人は実際多いだろう。そしてネットは地震が起こる前からそうした人々のはけ口となってきた。叩く対象を提示されると付和雷同的にそれを叩く人々はその以前から居て、ネット上で大変攻撃的になれる人々というのは、実際にはその不安を解消する努力をとらないが、不安を怒りに変え攻撃する行動は努力というより依存という形で文字列化させ形にする。
安全で安易だからだろう。
往々にしてその不安や不満は、無い物ねだりの類でしかないのだが、怒りの発現自体が容易なためこれは時として熱狂的に行われる。こうした行為は不定愁訴と呼ぶ人もいるが、愁訴は安易な手段で慢性化するとエスカレートし極めて攻撃的になる。
情報パニック体質の人というのがいるのだという事は、ネットストーカー事件を見ていてよくわかっている。
わかりやすいスケープゴートを手にしたら、簡単に自分を正義の存在にでっち上げられるらしく、また、そういう人ほどネットでは饒舌になるので(依存状態なのだからあたりまえだが)書き込みの数が膨大になり、逆撫でするような罵詈雑言で、表示され目に映る視覚一面が埋められ、それが世界を支配している意思だと錯覚し、その錯覚を脳にフィードバックさせながら行為を加速させて再生産行為を繰り返す。
具体的に行動し努力し、得たい具体的な目標というのは提示されない。
おそらくはその行為自体が目的化しているからだろう。または目的というより癖になっているのだろう。
確かに、原発を収束させ、放射能の除去など、素人でしかない我々には到底できないが、だからと言って、ネットで姦しくささくれ立った言葉を羅列してそれを見せたがり、ひょっとしたら、それを英雄的行動であると思っているふしがあるかのような姿は、見せ付けられても困惑するし、別の意味でも恐ろしい。
「敵をつくり、それを叩き、それに同調するものは味方で、それに応じないものは敵だ。自分の正当性を認めさせ、認めさせた上で敵となったすべてを排除したい、抹消したい、脅迫にも似た態度でひたすらな多数派工作で表示される言葉の物量で。強烈な幼児性をみせつけられているような、、、21世紀のファシズムは幼稚極まりない、、、」
そう言った人がなんしか昔居たけど、要はこれがやりたい、というよりこうした依存を起こしているだけで、結局具体的で現実の目標もなく、もちろんそれに向かう実際の行動努力も無く、言葉を書き込んで
「俺は正しい、お前は醜い。」
そう言い続けたいだけなんじゃないかと。
もちろん、たとえば俳優の山本太郎さんがそうだとは言うつもりは毛頭無い。
彼は彼なりの具体的な政治活動を行っているのだし、隠れて安全なところで罵詈雑言を発して居るわけではないです。
むしろ大変な責任を負って発言し行動しているのだから。
彼の活動は誠意ある政治活動と言えるし、それには一定の信認が与えられていいです。
ただ、是幸いと、地震以降の一連の、あくまでメディア上の表示情報に便乗して、不満の捌け口として感情の発露を行う精神的な健康をそこなっているかのような書き込みをする人たちからは、自分の感受性を守らなければいけないと感じているだけ。
結局そういう人は、その興奮気味に書き連ねる行為を楽しんでいるのではないかとおそれているだけ。
私はもちろん、表示されるニュース情報に無関心であるつもりはまったく無い。
自分が行える政治活動はその力が限られているし、それよりは、特に今はまだ、一ボランティアとして現地で泥かきするほうが、実際の復興の手伝いになっているからそれをやり続けるだけ。
PCの前で、自分の方が正しいと認めろ、などという趣旨の、まるで「愛を請う人」のような叫び声にも似た脅迫を書き連ねる者の仲間入りはしたくないし、その混乱に巻き込まれないようにするには反応しないのが一番。
つまり無関心なのではない。
病に陥りたくはないのだ。